檜原城
別名
所在地 東京都檜原村本宿
遺構等 曲輪、堀切、竪堀、説明板
現状 山林
築城年
築城者 平山氏
歴代城主 平山氏
形式 山城(比170m、標452m)
登城口から主郭まで約20分
訪城日 2011/1 感想
【感想・メモ】
吉祥寺は館跡とのことで、そこから遊歩道が整備されています。登城口に説明板があり、そこからつづら折れの道を登っていきます。途中、山頂付近から麓の方まで延びる竪堀が見られ驚きます。やっと郭に到着したと思ったら二郭のようで、登城口にあったのと同じ説明板があります。この南に堀切があり、更に南へ3段程の小郭を登ると主郭ですが、主郭もとても狭く石仏が安置されています。その背後に露出した岩盤を利用した三重堀切がありますが全体に規模は小さいです。
【歴史】
この地は古くから甲斐と武蔵を結ぶ幹線道路が通じた交通の要衝であった。戦国時代には後北条氏の支城として機能しており、甲斐の武田氏に備えるため、戸倉城、網代城と共に、滝山城への連絡の役割を担っていた。永禄12年(1569)武田氏の小田原攻撃を事前に察知した滝山城主北条氏照は檜原方面の防御を強化したが、武田軍の別働隊が小仏峠から、主力は飯能から侵入したため、たちまち滝山城は包囲され三の丸まで落ちてしまったと伝えられる。天正18年(1590)、豊臣・徳川両軍の関東侵攻によって落城し、廃城となった。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『多摩丘陵の古城址』田中祥彦著
現地説明板

主郭南の堀切

山頂から山麓に延びる竪堀

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【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
檜原村役場の南西約220mにある吉祥寺の背後(西)の山が城跡で、吉祥寺が登城口です。お寺に駐車させて頂きました。

二郭南の堀切から主郭方面を見る


ひのはらじょう