圏央道「八王子西インター」から南南西へ約1km。恩方第一小学校から陣馬街道で500m程西進して圏央道をくぐり、更に100m程西進した右手に「浄福寺」があります。この背後の山が城跡で、浄福寺に参拝者用駐車場があります。お寺の西側にある白山神社が登城口です。
白山神社から道があり7分程で観音堂に至ります。更に20分程登り小郭を過ぎると主郭で祠があります。主郭から少し東へ進み、そこから北尾根を行くと堀切が2本あり、ピークの先に連続堀切があります。この東斜面には畝状竪堀もあり、かなり複雑で面白いです。この北尾根の中央から東尾根が、南から南東尾根がのび、どちらも堀切が見られます。遺構の確認もしやすく大満足できるお城です。尚、浄福寺は居館跡のようです。
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【感想・メモ】

主郭

畝状竪堀

浄福寺城
別名 案下城、千手山城、松竹城、新城
所在地 東京都八王子市下恩方町
遺構等 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀、説明板
現状 山林
築城年 至徳元年(1384)?
築城者 大石信重
歴代城主 大石氏
形式 山城(比150m、標360m)
登城口から主郭まで約30分
訪城日 2011/1 感想
築城年代には3説あり、その一つに至徳元年(1384)大石信重が築城したといわれる。大石氏は、木曽義仲の後裔が信濃国大石郷に住んでいたが、延文元年(1356)入間・多摩に13郷を得て多摩に移住し、秋多町の二宮から案下城、高月城滝山城と次第に大豪族となり城を移したという。この地は甲斐国へ通じる古案下道が通る要衝で、北条氏配下の永禄の頃は滝山城の出城として大石源四郎憲重が居城したといわれる。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『多摩丘陵の古城址』田中祥彦著
現地説明板

北尾根の堀切

【歴史】
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図

じょうふくじじょう