粟野城
別名
所在地 栃木県鹿沼市(粟野町)口粟野字城山
遺構等 曲輪、土塁、堀切、石垣、碑
現状 城山公園、山林
築城年 暦応元年(1338)
築城者 平野将監範久
歴代城主 平野、皆川
形式 山城(比120m)
城山公園入口から本丸まで約20分
訪城日 2009/4 感想
城山公園は普通の公園といった感じで城跡らしさを感じられません。公園入口が追手門で、堀切や土塁、石垣が若干見られます。城跡の主要部は公園から西北にある山頂付近ですが、こちらも堀切や削平が見られるものの、藪だったりでイマイチ面白味に欠けます。城山公園はツツジがとても綺麗なので、ツツジの季節(GW前後)に訪れると良いと思います。
【感想・メモ】
粟野第一小学校南方の県道15号を300m程西南へ進んで右折すると城山公園があります。この公園の西北の山が城跡で、公園に無料駐車場が完備されています。
暦応元年(1338)、佐野氏の家臣平野将監範久が築城し、粟野・粕尾・南摩を領したといわれる。戦国期である天正3年(1575)、皆川広照が斎藤秀隆に粟野城を攻め落とさせ、秀隆を城主とした。秀隆に追われた平野久国は佐野に逃れたが、天正12年粟野城を奪還し神山氏や横尾氏を城代とした。しかし、天正16年、再度皆川広照の手に落ち、落合徳雲入道が城代として在城した。北条氏と同盟関係にあった皆川広照は、天正18年、豊臣秀吉の小田原征伐の際、姻族関係の壬生義雄と共に北条氏に属し、秀吉派遣の上杉・真田両氏に粟野城は攻め落とされ廃城となったといわれる。(『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照)

堀切

石垣



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