藤岡城
別名 花岡城、中泉城
所在地 栃木県藤岡町藤岡
遺構等 土塁、空堀、説明板
現状 神社、田畑
築城年 承平2(932)
築城者 平将門
歴代城主 平、足利、藤岡
形式 平城
訪城日 2009/4 感想
【道案内】
城跡の地図
東武日光線「藤岡駅」から西北へ約400m。藤岡駅から50m程西進して右折し、300m程道なりに進んで右折すると三所神社があります。藤岡駅からこの神社一帯が城跡です。
【感想・メモ】


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承平2年(932)、平将門が父良将の所領安堵のため、後世に関東7ヶ城の一つといわれた堅固な花岡館を築いた。これが藤岡城の起源といわれる。将門は天慶2年(939)反乱を起こしたが(平将門の乱)、翌天慶3年、平貞盛・藤原秀郷らに討たれ花岡館は廃された。寛仁2年(1018)足利成行が花岡館跡に東西450m、南北690mもの規模の中泉城を再興し、一族の家臣佐貫太郎重光に支配させた。元久2年(1205)足利俊綱の三男忠行を初代領主とし、以後代々続いた。足利氏の氏族富士房行が城主となってから藤岡氏を称し、城も藤岡城と呼んだ。13代藤岡清房は小田原の北条氏に属したため、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐にて藤岡城は佐野宗綱に攻められ落城し、廃城となった。(現地説明板、『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照)
【歴史】
三所神社がある所が本丸だったようで、説明板があります。東側にある工場が建っている場所が二の丸で、このすぐ西側に堀跡があります。藤岡駅も城域で、歩いてみると他にも土塁や堀跡が散在しています。
ふじおかじょう