小倉城
別名
所在地 栃木県日光市(今市市)小倉
遺構等 曲輪、土塁、横堀、堀切、説明板
現状 山林
築城年 天文年間(1532-55)
築城者 桜本坊方印昌安
歴代城主 桜本坊
形式 山城(比180m)
登城口から主郭まで約18分(標高394m)
訪城日 2010/3 感想

登城道はハイキングコースとして整備されています。登城口の案内板には小倉城まで850m、約30分と書いてありましたが、20分弱で登れました。主郭には土塁と空堀が巡り、背後(北)には堀切があります。この北側の郭は小さく、雷電社が祭られ、お城の説明板があります。その北の郭には半月状に堀があり、更にその先に堀切があります。案内板には更に650m先に八方館があると記されていますが、夕方だったので諦めました。
【感想・メモ】

雷電社から主郭と堀切を臨む


【歴史】
【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
天文年間(1532-55)、日光山の桜本坊方印昌安が南の抑えとして築城したと伝えられる。日光市小倉と鹿沼市板荷の境界をなし、鶏鳴山系を北に負う標高394mに城跡があり、山頂削平地の規模は東西26.5m、南北22mである。戦国末期、北上策を推し進める宇都宮氏と、これを阻んで自らの勢力を南下させようとしていた日光山との間で激しい攻防戦が展開され、小倉城は宇都宮氏方に奪われた。天正15年(1587)10月、宇都宮・佐竹連合軍が守る小倉城を、小田原北条氏と結ぶ桜本坊とこれに加勢する日光山衆徒が交戦して城を奪還した。この戦いで宇都宮氏方の家老今泉・戸祭両氏が討死した。天正18年(1590)小田原の役によって北条氏が滅びると日光山領は豊臣秀吉に没収され、小倉城は廃城となった。(現地説明板、『日本城郭大系』新人物往来社発行 『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照)
JR日光線「文挟駅」から西南西へ約800m。文挟駅西側から国道121号で500m程南下して右折し、150m程西進して左折、300m程南西へ進んで行川を渡り終わった突き当りを右折します。300m程北上した左手に登城口があり(案内板有)、登城口前に駐車可能です。
こぐらじょう
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