西方城 |
東武日光線「東部金崎駅」から西北へ約600mの国道293号「工業団地入口」信号を西へと県道177号に入ります。500m程西進して道が右カーブになる所を直進します。400m程西進した突き当りを右折し、1本目を左折、突き当りを右折し東北自動車道と並行して北上します。300m程で左折し東北道をトンネルでくぐると長徳寺があります。ここが登城口でお寺に駐車可能です。 |
別名 | |||
所在地 | 栃木県西方町本城 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀、枡形虎口、井戸、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 永仁元年(1293) | ||
築城者 | 西方景泰 | ||
歴代城主 | 西方、皆川、宇都宮 | ||
形式 | 山城(比120m) 長徳寺から北の丸まで約17分 |
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訪城日 | 2009/4 | 感想 |
永仁元年(1293)宇都宮7代城主景綱の三男・泰宗の子景泰が築城したと伝えられ、景泰以後、代々西方氏を称した。西方城は宇都宮氏の西端防衛拠点として重要視され、天文〜永禄年間(1532-70)には北条氏と結ぶ壬生氏や皆川氏と対する拠点となった。天正15年(1587)、7代綱吉は宇都宮国綱に背き北条方についたため、国綱に捕らえられ獄死し、西方領1万余石は宇都宮氏に没収された。綱吉の子綱清は文禄元年(1592)芳賀郡赤羽の地を与えられた。(『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照) |
城跡は整備され、案内が行き届いています。特に見所部分には図面と解説付きの看板が立っています。土塁、横堀、竪堀がしっかりしていて全体にとても見応えがありますが、特に本丸から南の丸の間の屈曲する虎口がカッコいいです。 |
にしかたじょう |