飛山城
別名
所在地 栃木県宇都宮市竹下町飛山
遺構等 曲輪、土塁、横堀、復元建物、碑、説明板
現状 飛山城史跡公園
築城年 永仁年間(1293-99)
築城者 芳賀高俊
歴代城主 芳賀氏
形式 平山城
訪城日 2010/4 感想

中世竪穴建物


【道案内】
城跡の地図
国道123号と国道408号が交差する「鐺山」信号から国道408号で2km程北上して左折し、400m程西進すると「飛山城史跡公園」があります。ここが城跡で公園に無料駐車場が完備されています。
城跡は整備された史跡公園になっていて見やすいです。堀や土塁が復元されていますが、とても角張っていて土塁にはネットが張ってあったり、空堀から土塁上までロープをつたって「土塁登り」が体験できる箇所もあります。また、掘立柱建物、中世竪穴建物、古代竪穴建物と各建物や、公園西方には烽火施設も復元されています。未整備部分の南側も立派な空堀や土橋が見られ楽しめます。駐車場に隣接して入場無料の資料館もあり、歴史なども勉強できて、かなり堪能できるお城です。
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【感想・メモ】
永仁年間(1293-99)、芳賀高俊が主家の宇都宮城に近いこの地に築城したと伝えられる。芳賀氏は天武天皇の後裔清原氏の一族で、益子氏(本姓紀氏)と共に「紀清両党」と呼ばれ、宇都宮氏重臣として勇猛を轟かせ、御前城を居城として大内庄(現真岡市)を中心に代々芳賀郡一帯を治めていた豪族であった。高俊以後、300余年にわたって飛山城は芳賀氏の居城であったが、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐後、秀吉の命により破却された。(『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
【歴史】
とびやまじょう