水城
水城跡は福岡平野南東部の奥に築かれた古代の土塁跡です。天智天皇2年(663)、大和朝廷は朝鮮半島の百済を復興するため軍隊を送り、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた。日本列島の防御、とりわけ九州の政治、経済、軍事を統括する役所である大宰府の防御に迫られ、大野城や基肄城と共に築かれた水攻めのための土塁で、山と山の間を堤防のようにした。土塁の下部には木樋を通し、土塁の内側で集めた水を、土塁外側にある堀に貯えたと考えられる。
【歴史】
【道案内】
東門の地図
九州自動車道「太宰府インター」を下り、国道3号を太宰府市街方面へ進みます。500m程南下した「水城2」信号を左折して県道112号に入り、300m程進んだ次の信号「水城3」を左前方の細い通り(県道574号)に入ってすぐ左角が東門跡で駐車場が完備されています。他にも広範囲に土塁などが点在しています。
大土居の地図

春日大土居
別名
所在地 福岡県太宰府市・春日市・大野城市
遺構等 土塁、木樋、水堀、碑、説明板
現状 宅地、道路、公園他
築城年 天智天皇3(664)
築城者 天智天皇
歴代城主 天智天皇
形式 平城(水城)
訪城日 2007/2/9

【感想・メモ】
みずき
TOPページへ
東門跡には碑や説明板があり、道路東側の土塁から道路の西側へと続く長い土塁が見られます。また、県道112号の西側には木樋も置いてあります。大土居跡は春日市にあり、高い土塁があります。他にもあちこちに土塁などが点在しています。