福岡県のお城 ながのじょう
長野城
別名
所在地 福岡県北九州市小倉南区長野
遺構等 曲輪、土塁、畝状竪堀、堀切
現状 山林
築城年 保元2(1157)
築城者 平(長野)修理判官康盛
歴代城主 平(長野)
形式 山城(比200m、標230m)
登城時間 登城口から出丸まで約20分
訪城日 2013/5/1 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
東九州自動車道「長野トンネル」の上が城跡。九州自動車道「小倉東インター」から国道10号で600m程東進した「津田西」信号を右折します。1.7km程南西へ進んで左手に「長野緑地」を過ぎ、更に600m程直進して左折します。周辺は公園整備工事中でしたが、そのまま進むとトンネル手前で通行止めとなり、ここが登城口で付近余白に駐車しました。通行止めの先へ歩いて進み、トンネルで高速をくぐり右手へ進むと林道長野線となり、ここから15分程で城への入口があります。2007年に訪れた時は「二の丸入口」表示から入るとわかりやすかったのですが、今回再訪したら林道が崩壊しており、そのすぐ手前のロープがある所から山へ入りました。ここから登ると5分程で出丸に至ります。
【感想・メモ】
城は馬蹄形(U字形)をしており、北西の出丸、そこから南へと本丸、その後北東の二の丸へ進みました。とにかく行けども行けどもこれでもかーという位に畝状竪堀が楽しめます。特に本丸付近は藪が払ってありとても見やすいです。また、出丸・本丸・二の丸には表示があります。二の丸から竪堀沿いにあるロープ伝いに下山しました(林道に「二の丸入口」表示有)。ここから戻る際、林道が崩壊しているので一旦山道へ迂回し、出丸へと登ったのと同じ場所に出ました。
【歴史】
保元2年(1157)、左大臣平時盛の六男・修理判官康盛が豊前国司として赴任し、城を築いて長野氏と称した。戦国時代の長野の地は、大内氏と大友氏の勢力争いの境目となったため、両氏(大内氏衰退後は毛利氏と大友氏)から何度も攻められ、その都度被官先を変えた。天正年間(1573-91)には、長野氏は高橋・秋月氏の勢力範囲となったが、豊臣秀吉の九州征伐で秀吉に降って筑後へ国替えとなり、城も廃城となった。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行

本丸

登城口(通行止めの所)
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