柳川城
【歴史】
文亀年間(1501-04)、蒲池治久が築城した。天正9年(1581)、蒲池鎮並が龍造寺隆信に謀殺され、蒲池氏は滅亡した。天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後、筑前立花城主・立花宗茂が13万石で入封したが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦で西軍に属したため改易となった。替わって三河岡崎から田中吉政が32万5千石を領し、柳川城に入った。吉政は柳川城を改修すると共に、久留米城、筑後福島城も支城として修築した。元和6年(1620)、2代田中忠政が没し、嗣子なく改易され、旧城主立花宗茂が12万石で復帰した。以後、立花氏が12代続き明治を迎えた。
【感想・メモ】

天守台
【道案内】
城跡の地図
柳城中学校のすぐ横に説明板などがあり、石垣が残っています。ここで写真を撮りまくっていたら、「研究してるの?学生さん?」と声を掛けられました。まだ学生に見られる年ということで、喜んでおこうかな?柳川では、お花や周囲の町並み、そして川下りを楽しみ、あとはどじょうを食べて大満足☆
西鉄大牟田線「西鉄柳川駅」から南西へ約1.5km。「柳川高校」とその西側の「柳城中学」付近一帯が城で、柳城中学付近が天守台跡です。
別名 筑後立花城
所在地 福岡県柳川市本城町
遺構等 水堀、石垣、掘割、土塁、碑、説明板
現状 柳城中学校
築城年 慶長6(1601)
築城者 田中吉政
歴代城主 田中、立花
形式 平城
訪城日 2003/8/13

やながわじょう
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