城跡の地図
舞鶴城
別名 国分新城、国分御屋形
所在地 鹿児島県霧島市国分中央2丁目5-1
遺構等 石垣、朱門、堀、碑、説明板
現状 国分高校付近
築城年 慶長9(1604)
築城者 島津義久
歴代城主 島津
形式 平城
訪城日 2003/8/10
【歴史】
国分高校付近に石垣が残っています。また、その前には、堀跡と思われる小川というか水路が流れています。と〜っても良い雰囲気で、石垣を堀越しに眺めたりして堪能しちゃいました。その上、朱門があったりします。意味もなく、伊豆大島にあった源為朝館を思い出しちゃいました。同じような色だったんで。。。
【感想・メモ】
【道案内】
まいづるじょう
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JR日豊本線「国分駅」から東へ約1km。国分高校付近一帯が城です。
慶長年間に島津義久が築城し、慶長9年(1604)隼人富隈城から舞鶴城へ移った。以後、慶長16年に79歳で死去するまで在城した。また、義久の三女・亀寿姫は、寛永7年(1630)に死去するまでの20年間をこの城で過ごした。舞鶴城は、山城の南麓に築かれ、日常生活をするための屋形造りとなっており、戦時には背後の城山(隼人城)を詰めの城とした。