鹿児島県のお城
ちらんじょう
知覧城
別名
所在地 鹿児島県南九州市知覧町永里
遺構等 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年
築城者 知覧氏
歴代城主 知覧、佐多
形式 丘城
登城時間 駐車場から本丸まで約7分
桝形
訪城日 2016/4/25 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
南九州市役所から県道232号で1.2km程南下して右折します(右手に知覧城の案内有)。300m程西進した左手に無料駐車場とお城の説明板や標柱があり、城はこの東の山となります。登城口は駐車場から100m程戻った所で案内があります。
【感想・メモ】
各曲輪間に驚くほどの広くて深い空堀が巡っています。本丸は土塁で囲まれ城址碑がたち、蔵の城は掘立柱建物跡が分かるようになっていて北東側に桝形が、南東側に土橋や櫓台を持つ曲輪があります。今城、弓場城も切岸が急で土塁があります。
【歴史】
建久年間(1190頃)、伊作平次郎良道が3男忠永に頴娃・揖宿・知覧・給黎・薩摩郡を与えた。忠永は頴娃氏祖となり、その子四郎忠信が知覧氏祖となった。しかし、南北朝期にこれらの平氏は没落し、文和2年(1353)、島津忠宗の3男・佐多忠光(佐多氏祖)が足利尊氏から恩賞として知覧領を与えられた。以後、佐多氏の居城となるが、天正19年(1591)11代久慶の時、豊臣秀吉の怒りを買い、久慶は川辺宮村に領土を移された。その後、城は火災で消失し、廃城となった。
参考資料
『鹿児島県の中世城館跡』鹿児島県教育委員会編集
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