城跡の地図
人吉城
別名 相良城、繊月城、涅槃城
所在地 人吉市麓町
遺構等 石垣、礎石、堀、碑、説明板
現状 城址公園
築城年 建久9年(1198)
築城者 相良氏
歴代城主 相良
形式 平山城
訪城日 2006/11/22
【道案内】

【感想・メモ】
ひとよしじょう
【歴史】
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「人吉駅」から南東へ約1.2km。九州自動車道「人吉インター」を下りて最初の信号を右折し、300m程西進した1本目の信号を左折します。800m程南下してJRを渡り、更に600m程南下して球磨川を「水の手橋」で渡ります。渡ってすぐ左手が城跡公園で、周辺に観光者用無料駐車場があります。この無料駐車場から人吉市役所周辺も城域です。
球磨川越しに眺める人吉城は、まさに石垣の大要塞!見た瞬間から興奮しっぱなしで、どこまで行っても石垣がぁぁ。各所に標柱や説明があり分かりやすいです。水の手門や武者返し石垣、御下門から本丸だけでなく、裏手(南)の方も石垣のオンパレードでカッコイイ!大手門がある西側には多聞櫓・角櫓・長塀が復元されており、こっちは胸川越しに眺めるとこれまたとっても良い感じ。多聞櫓に長塀がず〜っと続き本当にステキ。多聞櫓の中は資料館(無料)となっていて、復元建造物のパンフや文化財マップなどが置いてあります。最後に渋谷家屋敷跡の礎石を見て帰りました。とにかく、すばらしいお城です!
相良氏は遠江相良出身で、建久9年(1198)相良長頼が源頼朝から人吉荘の地頭を賜り、それまで平頼盛の家臣・矢瀬主馬佑が居城していた城を修築して入城した。室町時代に相良氏は球磨郡を統一し、芦北・八代・薩摩方面へ勢力を拡大し、19代義陽は島津義久の支配下に入り、人吉城の大改修に着手した(完成は寛永16(1639)年22代頼寛の時)。天正15年(1587)豊臣秀吉による九州征伐により、20代相良長毎は球磨郡2万2千石を支配するのみとなった。慶長5年(1600)関ヶ原合戦で長毎は戦の途中で東軍に寝返り、本領を安堵された。以後、相良長毎を初代藩主として相良氏16代が続き明治を迎えたが、鎌倉時代からだと35代700年もの間、相良氏が居城した。明治10年の西南戦争で、人吉城は薩摩軍の本拠地となったため、ほとんど破壊された。