富岡城
【感想・メモ】
積み直しで綺麗過ぎる感もありますが、石垣がカッコいいです。二の丸駐車場から本丸と二の丸の間の階段を上がる所の横や本丸下の稲荷神社に竪堀があり、土の遺構も見られて楽しいです。二の丸には鈴木重成らの銅像が4つあり、本丸のビジターセンターではお城に関するちょっとした資料も展示されています(入館無料)。全体にとても上手く整備されていて堪能できます。
国道324号沿いの要所に案内が出ています。「富岡小学校」から1km程北上して左折します。200m程西進して左折すると広い二の丸駐車場へと上がれます。ここから更に車で上がると、二の丸石垣の真下にも10台分程の駐車場があります。身障者用のユニバーサル道路で上がると本丸ビジターセンターのすぐ横まで車で上がれます(駐車場3台分)。
【歴史】
慶長6年(1601)、天草領主となった肥前唐津藩城主・寺沢広隆が慶長10年に築城した。その後、山崎家治の私領時代、鈴木重成・重辰代官の天領時代を経て、戸田忠昌の私領時代に城が壊された。それ以後、明治時代まで天領として三の丸跡に代官所が置かれた。寛永14年(1637)に勃発した、「天草・島原の乱」の際、幕府側の拠点として一揆勢の攻撃対象となった。唐津藩の必死の守りで落城は免れ、乱を早期終結につなげた。乱鎮圧後、築城の名手・山崎家治が天草へ送り込まれ、城の大規模修理と縄張り拡大を行った。
城跡の地図

【道案内】
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別名 富岡臥龍城
所在地 熊本県苓北町富岡
遺構等 模擬櫓、曲輪、石垣、堀切、竪堀、説明板
現状 城址公園
築城年 慶長10(1605)
築城者 寺沢広高
歴代城主 寺沢、山崎、鈴木、戸田、天領
形式 山城
訪城日 2007/11/27
とみおかじょう