高岡城
別名 麓城、内山城、天ヶ城
所在地 宮崎市高岡町内山
遺構等 曲輪、門跡、模擬天守・櫓・門・塀、碑、説明板
現状 天ヶ城公園
築城年 慶長5(1600)
築城者 島津義弘
歴代城主 島津
形式 山城(比20m)
訪城日 2006/11/20
【道案内】 城跡の地図
天ヶ城運動公園の東側が城で、城跡手前のグランドまで車で行け、公園内に無料駐車場が完備されています。
【感想・メモ】
模擬天守形の資料館がある所が二の丸で、そこから東へ行くと、三の丸が北側にあり、更に東へと上がると本丸です。三の丸と本丸の間には堀切があり、大手門跡の標柱もあります。本丸からの眺めは本当に素晴らしく、大淀川を見下ろせます。さくら広場のすぐ西側に「北の城跡」がありますが、遊具のある公園となり、遺構は何もありません。お城の標柱だけがおりました。
【歴史】
慶長5年(1600)第17代当主・島津義弘は関ヶ原合戦に敗れ、帰国途中、八代で宿泊した。そこへ、島津氏と長年戦ってきた伊東氏重臣で清武城主・稲津掃部介は島津氏を滅ぼすべく、兵を率いて八代へ進軍した。そこで島津領内の領主達が八代へ兵を進め、稲津兵を何とか食い止め、義弘はその隙に八代を脱出し、鹿児島へ帰り着いた。この事件から、国境警備の必要性を痛感した義弘は、伊東氏に備えるため、久良津名の一部を城地として取り立て、築城した。これが高岡城である。元和元年(1615)、一国一城令により、高岡城は廃城となった。
たかおかじょう