魚見岳台場
別名
所在地 長崎市戸町3丁目
遺構等 石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 文化7(1810)
築城者 黒田斉清
歴代城主
形式 台場(比100m)
登り口から第3台場まで約5分
訪城日 2007/11/26


二の増台場
国道沿いの案内から5分も登れば三の増台場で、石垣の前に説明板があります。ここから女神大橋が目の前に見えます。三の増台場から2分程で二の増台場となり、ここの石垣が素晴らしいです。二の増台場が一番広くて、東西50m、南北30mぐらいあります。その上が一の増台場で、この東側に石蔵があります。これだけしっかりした石垣の台場は初めて見ました。
【感想・メモ】
女神大橋の下から国道499号で200m程南下した左手「南部下水処理場」を過ぎてすぐの国道沿いに台場の案内があり、ここを左へ入ると台場です。女神大橋の下にある駐車場を利用しました。
登城口の地図
城跡の地図
【道案内】

三の増台場

石蔵
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【歴史】
鎖国時代、長崎警備のため数次にわたり長崎港の内外に台場が設けられたうちの1つ。幕府は寛永16年(1639)鎖国令を出し、承応2年(1653)大多越(太田尾)(1番)、女神(2番)、神崎(3番)、白崎(4番)、高鉾(5番)、長刀岩(6番)、陰の尾(7番)の7ヵ所に台場を新設した(古台場)。文化5年(1808)フェートン号事件に刺激を受け、2・3・5・7に隣接した台場と、沙崩台場を築き(新台場)、さらに文化7年、3・5・6番と新たに魚見岳の4ヵ所に増設された(増台場)。この魚見岳台場は対岸の神崎台場と相対して幅500mの港口を押さえる要地で、弾丸火薬貯蔵の石蔵や一の増台場・二の増台場・三の増台場などの石垣が良く残っている。
うおみだけだいば