長岩城
別名
所在地 大分県中津市耶馬渓町川原口
遺構等 曲輪、石垣、空掘、堀切、門跡
現状 山林(扇山)
築城年 建久9(1198)
築城者 野仲伊予守重房
歴代城主 野仲
形式 山城(比220m)
訪城日 2007/2/11
【道案内】 城跡の地図 弓形砲座の登城口
国道212号から西へと県道2号に入り、「津民大橋」で山国川を渡ります。9km程県道2号を進んで「川原口」バス停付近の県道沿いに城跡見学者用駐車場があり、ここから南側の津民川を渡った先が登城口です。
【感想・メモ】
登城口にも案内板があり、獣避けを外して山へ入って左へ下るとすぐに一の城戸、三日月塹壕があります。ここからずっと平たい石で積まれた石塁が見られます。途中、沢を渡りながら二の城戸、三の城戸を見て、本丸方面と石積櫓方面の分岐に来ます。本丸方面へ行くと、東之台経由で石塁だけでなく竪掘も見ながら本丸へ。虎口にも石積みがあり、腰曲輪にも石塁があります。ここから竪掘を見ながら西之台へ行き、堀切を通って先程の分岐へ戻ります。次は陣屋跡や砲座へ。石積櫓へ梯子を上り細尾根を進みます。弓形砲座へはこのまま尾根を進むのは危険なため、東の尾根から登り直すと良いです。
【歴史】
豊前国の守護職宇都宮信房は弟重房に下毛郡野仲郷を分与した。重房は姓を野仲と改め、建久9年(1198)長岩城を築き、以後野仲氏22代、390年間居城した。野仲氏は次第に勢力を拡大し、下毛郡の統治者として栄えたが、天正16年(1588)、後藤又兵衛を先陣とする黒田長政の精兵3500騎の大軍に攻められ、時の城主野仲兵庫守鎭兼以下、一族郎党7百余、与力雑兵8百余の総勢1500余が勇戦したが落城し、野仲一族は自決滅亡した。以後、廃城となった。

砲座

西之台

陣屋跡

弓形砲座
ながいわじょう