名護屋城
別名
所在地 佐賀県唐津市鎮西町名護屋
遺構等 曲輪、石垣、堀、城門5ヶ所、井戸、碑、説明板
現状 名護屋城跡公園
築城年 天正19(1591)
築城者 豊臣秀吉
歴代城主 豊臣秀吉
形式 平山城
訪城日 2007/2/11
なごやじょう
【道案内】 城跡の地図
国道204号「名護屋大橋」を西へ渡り、750m程西進すると「名護屋城跡」信号があります。この正面が城跡です。路に案内が出ているのでそれに従うと辿り着けます。城跡は史跡公園として整備されており、無料駐車場も完備されています。
詳しくは、佐賀県立名護屋城博物館をご覧下さい。
【感想・メモ】
石垣が多く、思った以上に広い上、見晴らしもよく、城跡を歩いているだけで気分がいいです。眼前に海が広がって爽快なのですが、ここから朝鮮へ出兵したのかと思うと複雑な気分になります。大手から東出丸、三の丸、本丸、弾正丸、二の丸、遊撃丸、水の手曲輪とほぼ一通り見て、大手から出た井戸と、山里丸、太閤井戸、台所丸や深い堀も見られて大満足でした。
【歴史】
全国平定をなしとげた豊臣秀吉が、朝鮮半島、明国侵出を目指し出兵(文禄、慶長の役)するための前線本拠地として天正19年(1591)築城した。それ以前は、松浦党波多三河守親の家臣・名護屋越前守経述の居城(垣添城)であり、この城を大改修した。加藤清正が設計し、各大名に分担させてわずか5ヶ月で築かせた。周辺には、徳川家康、伊達政宗、毛利秀頼、黒田長政、加藤清正など全国の諸大名が陣屋を築いた。

三の丸

太閤井戸