この城跡は、室町時代から戦国期、伊予の豪族河野家18将の首位であった平岡氏代々の居城跡である。高さ5m程の土塁を周囲に築き、方形の平地で、長さは約東西130m、南北120m、堀の幅は北側20m、西と東は14m、南は10mで、南側で外とつながっている。四隅に櫓があったらしく西南の隅に石積みがある。矢竹が植えられているのは、この期の城塁に共通する特色である。建武2年(1335)、忽那氏が「会原城」で戦ったと言う記録が『忽那一族軍忠次第』にあり、築城はそれ以前である。土佐からの侵入を防ぐ拠点であったが、天正13年(1585)平岡通倚の時、秀吉の四国統一により、道後湯築城とともに落城した。(現地説明板より) |
荏原城 |
別名 | |
所在地 | 愛媛県松山市恵原町1132 |
遺構等 | 曲輪、土塁、水堀、碑、説明板 |
現状 | 林 |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 平岡氏 |
歴代城主 | 平岡 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2009/9 |
ここは水堀がぐるりと巡り、開口部は南側一箇所のみ。中に入るとすぐに城址碑と説明板があり、土塁がぐるりと巡っています。単郭方形の城で、かなり広く、土塁も高くて所々に祠がありました。単純な造りですが、見応えがあります。 |
えばらじょう |
荏原小学校の南側道路を300m程西進すると左手に水堀が見えます。そこが城跡で、城跡南側から中に入れ、城内に駐車可能です。 |