深沢城
三日月堀
【歴史】
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城址碑から左へ進むと「三日月堀入口」の標柱があり、この西側に立派な堀が見られます。また、城址碑から右へ進むと「三日月堀」の標柱がありますが藪です。更に北へ進むと馬出し、下馬溜などと主要箇所に標柱があって分かりやすいです。ただ、「二鶴様式の堀跡」の意味が分からず説明が欲しいです。また、二の丸となっている場所が本丸と思われます。郭内が田んぼになっていてちょっと雰囲気が掴みづらいですが、馬出しが4ヵ所もあり、堀の規模も大きくかなり見応えがあります。また、大雲院に移築門があります。
【感想・メモ】


東名自動車道「足柄SA」から北西へ約1.5km。御殿場市役所から県道78号で2.2km程北上した「城入口」バス停付近で左折します。300m程進むと城址碑と説明板があり、この付近に駐車可能です。城跡主要部はこの北側です。
【道案内】
城跡の地図

下馬溜(本丸南東の馬出し)

この地は、駿河・相模・甲斐の国境を結ぶ交通の要衝にあることから境目の城として極めて重要視された。16世紀初めに今川氏が築城し、天文年間(1532-55)に後北条氏の支配となった。永禄11年(1568)武田信玄の駿河侵攻により深沢城は武田氏と後北条氏の争いの舞台となり、元亀元年(1570)後北条氏は開城した。以後、武田氏の支配となり駒井昌直を置いたが、天正10年(1582)武田氏滅亡に際して昌直は城に火を放って退いた。天正12年、徳川家康が三宅康貞を置いて後北条氏に備えたが、天正18年、後北条氏滅亡により境目の城の役目を終え廃城となった。

参考資料
『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会発行
『ふるさと古城の旅』水野茂著
『静岡の山城ベスト50を歩く』加藤理文・中井均編
現地説明板
別名
所在地 静岡県御殿場市深沢
遺構等 曲輪、土塁、横堀、馬出し、碑、説明板
現状 田畑、林
築城年 16世紀初め
築城者 今川氏
歴代城主 今川、北条、武田、徳川
形式 崖端城
訪城日 2011/9 感想
ふかざわじょう