城跡の地図
花倉城
別名 葉梨城
所在地 藤枝市花倉城山
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、土橋、碑、説明板
現状 山林
築城年 文和2(1353)
築城者 今川範氏
歴代城主 今川
形式 山城(比250m)
訪城日 2006/1/8
【道案内】


【感想・メモ】
はなくらじょう
【歴史】
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主郭と二曲輪の間の堀切
縄張図(現地説明板より)
藤枝バイパス「薮田西インター」を下り、県道215号を北上します。900m程北上して「葉梨小学校」を過ぎた信号を左折します。300m程西進して右折し、600m程左手に花倉川沿いに北上して川を渡り、更に道なりに北上します。するとこの通り沿い左手に「花倉城」の案内が出ているので、そこからはそれに従います。右手に池がある所で左折してそこから山道になりますが、ここであと2kmと案内に書いてありました。茶畑の間の道をどんどん上って行った突き当りが登城口で、左手に説明板があり、3〜4台分の駐車スペースがあります。
登城口から入ってすぐに土橋があります。更に山を登って行くとまた土橋があり、登り初めて10分くらいで二の曲輪東側の帯曲輪に出て、そこからすぐに主郭と二の曲輪の間の堀切があります。二の曲輪には標柱だらけで、土塁の標柱だけで3つもありました。その南側に立派な空堀があります。主郭は二の曲輪の北側で、どちら側からでも眺めが良くて気持ちいいです。
今川氏3代・範国が、足利尊氏の命を受けて駿遠へ進出し、その子・範氏が文和2年(1353)、花倉に居館を構え背後の山上に詰城を築いたといわれる。その後、氏家、泰範、範政と3代約60年間今川氏の本拠地として栄え、範政が駿府へ本拠地を移した応永18年(1411)後も、一族を花倉遍照光寺の住職とし、堅塁花倉城を駿府の西の守りとしていた。山麓勝谷に範氏の建てた遍照寺、東側の半谷に泰範の建てた長慶寺があり、ここには範氏、氏家、泰範の墓が並んでいる。今川氏館があったところは、遍照寺前の平地と伝えられている。
登城口から入ってすぐの土橋