北松野城
県道76号を南下して「蓬莱橋」で富士川を渡り、更に700m程南下した信号を右折します(「リバー富士カントリークラブ」の案内があります)。200m程西進した1本目の路地を左折し(GSが右角にあり)、300m程南下すると神明宮があり、正面に小山があります。ここが城跡です。車はGSからもう1本西進した路地を左折すると右手に「堀之内公民館」があったので、ここに停めさせてもらいました。
別名 松野城、城山
所在地 静岡県富士市(富士川町)北松野字城山
遺構等 曲輪、堀切、空堀、土塁
現状 浅間神社
築城年
築城者
歴代城主
形式 丘城(比30m)
訪城日 2006/3/5
城跡の地図
【道案内】


【感想・メモ】
きたまつのじょう
【歴史】
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城跡へと入っていくと、やたら石がゴロゴロしています。左手に郭があるのを通り過ぎると二重堀切があります。二本目の堀切の東には横堀があるのですが、この付近に鉄塔があって、ちょっと邪魔だなぁって思っちゃいました。その右手が主郭で南東側に土塁がしっかり残っています。主郭から東へ行くと段郭があり、立派な堀切もあります。こじんまりしたお城ですが、なかなか楽しめます。
松野・内房一円を支配した荻氏が居城した。荻氏は、もともと甲斐武田氏の一流で武田信義の弟・奈古義行の後裔といわれ、北松野城初代の荻氏誉は、足利義満に仕え松野郷を領して土着した。16世紀前半に今川氏の被官となり、6代清誉の永禄11年(1568)12月、武田氏の駿河侵攻の際、「内房口の戦い」で討死した。しかし、その子久誉・君誉は穴山氏に従い、その後徳川家康に臣従した。