徳倉城 |
主郭北の堀切
JR御殿場線「長泉なめり駅」から東南東へ約1.5km、徳倉小学校から北東へ約300m。徳倉小学校の東側道路を小学校が切れた所から北東へ進んですぐの路地を左折すると右手に説明板があります。ここから1本目路地を右折し、130m程北東へ進んだ道路終点から正面の山へ入ると城跡で、道路終点に駐車しました。ただし、私は城の南側から山へ入ったのですが、北側の住宅地から入ったほうが楽かと思います。 |
別名 | 城山 | ||
所在地 | 静岡県三島市徳倉 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | |||
築城者 | |||
歴代城主 | 笠原氏 | ||
形式 | 山城(比20m、標80m) | ||
訪城日 | 2011/9 | 感想 | △ |
とくらじょう |
山へ入っていく道があったので、そのまま登りました。少し登ると堀切があったのですが、西側は整地したようで壊されています。その北側が主郭のようで、北側に土塁があり、そこに五輪塔が並んでいました。その背後(北)に堀切が残っています。このすぐ北側に住宅が見えたので、こちらからアクセスした方が楽かと思います。 |
徳倉城は箱根山から西南にのびる尾根の末端に位置し、天正18年(1590)豊臣秀吉の山中城攻めにまつわる伝承が残されている。後北条時代、駿河戸倉城主北条氏堯の家臣・笠原新六郎の弟がこの城の城主だったと伝えられる。 参考資料 『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会発行 現地説明板 |