城跡の地図
二俣城
【感想・メモ】
別名 蜷原城
所在地 浜松市(天竜市)天竜区二俣町
遺構等 天守台、石垣、空堀、土塁、石塁、碑、説明板
現状 公園、林
築城年 文亀年間(1501-04)
築城者 今川氏
歴代城主 今川、武田、徳川
形式 平山城
訪城日 2008/3/8
【道案内】

ふたまたじょう
国道152号「鹿島橋」で天竜川を北へ渡り、トンネルを抜けます。250m程北上した3本目の路地を左折し、道なりに右カーブしてすぐ左手へ上がっていきます(案内有)。200m程上がると右手に駐車場があり、この左手が登城口です。
【歴史】
文亀年間(1501-04)築城され、永正年間(1504-20)今川氏の支城となり、二俣近江守昌長が十年在城の後、今川氏重臣・松井左衛門亮信繁が城主となり、4代50年間在城した。永禄11年(1568)徳川家康が攻略し、三河普代の中根正照を城主とした。元亀元年(1572)式田信玄が4万の大軍を率い二俣城を攻めたが容易には落ちず、井戸櫓を壊して飲科水を絶ち、2ケ月後、徳川軍を降伏させた。3年後、再度徳川軍が攻略し、大久保忠世が城主となった。天正18年(1590)、小田原転封に伴い廃城となった。
縄張図(現地説明板より)
駐車場のすぐ南側から城址碑や説明板がある裏手にかけて堀切があったので、今も両側に竪堀が残っています。このお城は花見の時期に行くと草刈りされてて全貌が簡単にみられます。城址碑の前を通っていくとセンサーで案内が流れ、北曲輪(神社)南側の堀切が見られます。そこから喰違い虎口を通ると本丸で、天守台石垣や土塁が楽しめます。二曲輪にも南側に土塁があり、その南の蔵屋敷との間に堀切があります。蔵屋敷は普段は藪だらけですが、二曲輪東から南へ回り込むと通路があり、南側に石垣があるのが見られます。蔵屋敷の南の堀切を越えると南曲輪があり、ここは竹林になっています。二曲輪と蔵屋敷の間の堀切から西へ進むと、左手に段郭や竪堀があります。また、二俣城から500m程北東にある「清瀧寺」には井戸櫓が復元されている他、自刃した信康や城主だった中根正照、大久保忠世のお墓があります。
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二曲輪と蔵屋敷の間の堀切

清瀧寺の復元井戸櫓