堀川城 |
別名 | 堀河城 |
所在地 | 浜松市北区細江町気賀 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | |
築城年 | 永禄11(1568) |
築城者 | 斉藤為吉 |
歴代城主 | 斉藤・新田四郎・武田右京・山村修理・尾藤主膳 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2004/1/24 |
ほりかわじょう |
国道362号を三ケ日町から東進した場合、「下気賀」の信号を右折します。そこから1km程行くと、右手にフェンスに囲まれた中に「堀川城址」の石碑があり、フェンスに説明板もあります。ここが城跡です。 |
遺構はないですが、石碑が大きくて立派でした。 |
永禄11年(1568)、徳川家康の遠江侵攻に備え、今川氏の勢力下にあった気賀の土豪、斉藤為吉・新田四郎・武田右京・山村修理・尾藤主膳らが築いた城柵。周囲を柵で囲い、浜名湖の潮の干満を利用して、満潮時には舟を使用しないと城へ入れない構造になっていた。しかし、永禄12年、干潮を待って大攻勢をかけた徳川家康軍により落城した。農具を武器に立て篭もった農民2500人の多くが討死し、生き残った農民700人も呉石塔の下で斬殺され、気賀村は焼打ちにあった。 |