城跡の地図
飯田城
別名
所在地 森町上飯田
遺構等 曲輪、土塁、空堀、説明板、碑
現状 林、畑
築城年 応永元(1400頃)
築城者 山内対馬守道美
歴代城主 山内
形式 平山城
訪城日 2004/1/24
【道案内】


【感想・メモ】
いいだじょう
【歴史】
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縄張図(現地説明板より)
県道58号「森町飯田郵便局」から北上して1つ目の路地を右折します。道は折れ曲がっていますが、道なりに進むと途中に「崇信寺」の案内があります。立派な「中飯田公民館」を右手に急坂を登りきり真っ直ぐ行くと、途中お茶畑で道が細くて心配になりますが、細いのは一区画だけで、道の突き当たりが「崇信寺」です。このお寺には、飯田城の城主だった、山内三代の墓があります。車はお寺の駐車場に置き、城跡へは、ここから歩いて行きました。お寺から南へ行き、途中右手から来る道と合流するする道がありますがそこも直進します。その後、分かれ道が2回ありますが、どちらも右手に行くと、「飯田城址入り口」の案内があります。そちらの方へ行くとまた「飯田城址入り口」の案内があり、階段を上ってまっすぐ行くと縄張図付きの説明板と立派な石碑があります。
縄張図を見ると、現在地は御前郭。本丸は畑となり、堀は茶畑となっていました。でも、本丸の北側と南側には土塁があり、堀は一段低くなっていて雰囲気が分かります。袖曲輪や腰曲輪の削平や、出曲輪の方の堀切も確認して、なかなか遺構が残ってるじゃんと満足したものの、ここもまた、草木を掻き分けて入り込んだりしたので、写真ではただの藪だよなぁぁと悔しい思いをしたのでした。
応永元年頃(1400頃)、天方城主の山内対馬守道美が武力を持って飯田の荘をとり、この地に築城して移り、天方城は弟の山城守に譲った。永禄年間(1558-69)、対馬守の子孫・道泰の代に徳川家康に攻められ主従ことごとく討死して廃城となった。