三岳城 |
三岳神社があった所が三の城で、重要な水を確保する場所だったようです。神社に向かって左手が登城口でここに城の説明板があり、10分程登ると二の城と一の城の分かれ道となり、二の城側へ少し入った所に縄張図付きの看板があり、二の城の奥(東)には堀があります。山頂が本丸で、ここからの眺めは最高です。浜名湖や太平洋までもが見え、浜松市街も一望できました。山城の醍醐味の1つが、このような景色を堪能できる事ですね!ここには城跡碑もあります。ここから更に奥(西)へ下っていくと西曲輪となります。この西曲輪には、石垣で固められた土塁が2段も巡らされていました。更に、帰り際に虎口付近から北側斜面へと下りてみたら、この付近にも石垣が少しありました。 |
城址碑と主郭からの眺め |
別名 | 三嶽城 |
所在地 | 浜松市北区引佐町三岳 |
遺構等 | 石垣、土塁、空堀、枡形、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 南北朝期 |
築城者 | 井伊道政 |
歴代城主 | 井伊 |
形式 | 山城(駐車場からの比高140m) 登城口から主郭まで約20分 |
訪城日 | 2008/3/15 |
国道257号「井伊谷」信号を東へ入り、ズンズン山道を上がっていきます。ここから先は道沿いの要所要所に三岳城の案内があるので、それに従えば簡単に行けます。三岳神社の前に30台分程の駐車場が完備されています。 |
南北朝期、井伊道政が本城とした南朝方の拠点だった。後醍醐天皇の皇子・宗良親王はこの城に立て篭もり、南朝の復興を画策したが、興国元年(1340)、足利尊氏の武将、高師泰・仁木義長らに攻められ落城し、親王は駿河国安倍城へ退いた。永正11年(1514)、曳馬城主大河内貞綱が尾張の斯波義達と結んで反今川の兵を挙げた時、井伊直盛が斯波に味方して三岳城を守った。しかし、今川氏親の将・朝比奈泰持以の猛攻に遭い落城。井伊氏は奥山城へ逃げた。 |
みたけじょう |