城跡の地図
野田城
別名 大津城
所在地 島田市野田字城山
遺構等 曲輪、堀切
現状 宅地、海蔵寺
築城年 観応2(1351)
築城者 佐竹兵庫助
歴代城主 佐竹
形式 山城(比95m)
訪城日 2006/6/17
【道案内】


【感想・メモ】
のだじょう
【歴史】
TOPページへ
国道1号(島田バイパス)「野田インター」から県道217号を北上したすぐ左手の山が城跡です。私は、200m程北上した左手から登りましたが、登城口は山の北側を流れる川が、その西側を流れる川と合流する地点に架かる白い橋を渡ったすぐ右手に白い看板がありますが、その前方にあります。駐車場はないので、邪魔にならない場所を探して停めるしかないです。多少歩いても構わないならば、西側にある中央公園の駐車場を利用すると良いでしょう。
城跡の山はすぐに分かるのですが登り口が分からない。車で山を一回りして取り付けそうな場所を探したけど、結局は縄張図を見てここから登るのがいいかな?思っていた山の東側から登りました。トロッコのレールがある横の階段を上り、レール沿いに少し直登。そこから先は茶畑が広がり、城跡に向かって道があったのでそれに従いました。茶畑から林に入ったら、ちょうど主郭南下の堀切でした。下から主郭まで10分程で着きました。少し歩いて城域最南部を見た後、北へ歩いて主郭へ行ったら茶畑でちょっとガックリ。でも、ここに茶畑があるってことは、道があるはず。そこから北へ歩いていたら、白テープがず〜っと続いているので、これが登山道かも?と思い、白テープ沿いに下りていきました。一応、一人分の幅で草刈などされていたものの、背丈より高い草が周囲を覆っている間を通ったりとちょっと不安になってくるけど道はあります。テープは下まで続いており下山できましたが、これは分かりにくいなぁと思ったと同時に、次にまたこの城へ登る時も、この道より自分が登った道の方が近いし視界が開けていていいなぁと思いました。
観応2年(1351)、安倍城に籠もった佐竹兵庫助、中山三郎左衛門尉らが今川軍に攻め落とされ、この大津の山中に退去して築城したのが野田城である。その後、翌観応3年8月20日に伊達景宗に攻撃され、落城した。
主郭から
登城口
私が登った所