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別名 |
久頭合城 |
所在地 |
静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方 |
遺構等 |
曲輪、土塁、堀切、模擬櫓、説明板 |
現状 |
高根城址公園 |
築城年 |
南北朝期 |
築城者 |
奥山金吾正定則 |
歴代城主 |
奥山 |
形式 |
山城(比150m、標420m) |
登城時間 |
登城口1・2とも主郭まで約15分 |
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【道案内】 |
登城口1の地図 |
登城口2の地図 |
城跡の地図 |
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JR飯田線「向市場駅」から南南西へ約500m。国道152号「水窪橋」信号を南東へと県道389号に入り、1km程進んで右手前方向へ上がっていく林道立山線に入ります。1.3km程進んだ右手が登城口1で、ここからだと比高40m程度です。また、水窪橋を渡ってすぐの路地を右折し、そのまま道なりに進むと坂を上がりながら左カーブした左手に高根城観光者用の無料駐車場があり、更に道なりに上がった先が登城口2で、ここからだと比高120m程です。 |
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【感想・メモ】 |
登城口1は公園経由で二重堀切側から入ります。比高差はあまりなく楽に登城できます。登城口2は駐車場へ向かう道の途中に説明板があり、駐車場にも案内板やトイレが完備しています。ここからだと主郭側から入ります。登城道はどちらも整備され、主郭まで15分程かかります。城は、櫓や塀、門などが復元され、見やすくなっています。城域はコンパクトで、郭間の堀切がしっかりし、特に三郭の背後は二重になっていて見応えがあります。 |
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【歴史】 |
応永21年(1414)、南北朝期から久頭郷を治めていた奥山定則が、水窪川と河内川が合流する標高420mの三角山先端部に後醍醐天皇の孫・尹良親王を守護するための仮宮として築いたといわれる。永正・大永年間(1504-28)、奥山氏は駿河の今川氏に属し、高根城を居城として北遠のほぼ全域を支配したが、今川氏没落に伴い、今川・徳川・武田への帰属を巡り内部紛争が起こり滅亡した。その後、遠江侵攻を始めた武田氏が、遠江・三河侵攻の拠点として城を改修し、元亀3年(1572)武田信玄の遠江侵攻時には武田方の城として青崩峠越えの警備を担ったが、武田氏滅亡と共に廃城となった。 |
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