宇津山城 |
井戸 |
いきなり、土塁が出迎えてくれます。説明板もあります。ここは正太寺を境に、東の城と西の城があり、山上霊園背後が西の城となります。本丸へ歩いて行くと、石垣土塁がL字型になっていますが、この石垣は猪垣かも?と言われています。その後、本丸から二の丸へ。土塁がずっと続いています。そして、ぽっかり穴を開けた井戸が1つ、亀井戸が1つ、計2つの井戸がありました。帰りは、曲輪の南側を通り、一周する事に。こっちの土塁の内側にも、石積が見られました。また、東の城は畑や藪でよく分かりませんでした。 |
別名 | 鵜津山城 |
所在地 | 湖西市入出字正太寺鼻 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、井戸、石塁、虎口、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 大永4(1524) |
築城者 | 今川氏親 |
歴代城主 | 今川、戸田、朝比奈、松平 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2008/3/15 |
亀井戸 |
うつやまじょう |
湖西中学校から国道301号で50m程南下した「太田」信号を東へと県道333号に入り、浜名湖・正太寺鼻方面へ2km程進みます。正太寺背後の山(北西と東の2ヵ所有)が城跡で、山上霊園まで車で上がれます。 |
大永4年(1524)、今川氏親が遠江と三河の国境を監視させるため築城した。永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで今川義元が戦死し、徳川家康が三河を統一し、永禄12年には宇津山城を手に入れた。家康は、松平家忠を宇津山城に置き、城を拡張をさせた。 |
石塁 |