二本松城
別名 霞ヶ城、白旗城
所在地 二本松市郭内3丁目
遺構等 曲輪、土塁、空堀、復元門、復元石垣、
井戸、碑、説明板
現状 霞ヶ城公園
築城年 応永21(1414)
築城者 畠山満泰
歴代城主 畠山、伊達、蒲生、丹羽
形式 平山城(比120m)
訪城日 2006/4/30
【道案内】


【感想・メモ】
にほんまつじょう
【歴史】
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東北自動車道「二本松インター」を下り、県道355号を二本松市街方面へ東進します。300m程進んだ信号を左折して500m程進み左折、すぐを右折します。道なりに500m程進んで左折し、500m程進むと右手に公園があり、この公園が城跡で無料駐車場が完備されています。インターを出たところから道路に案内が出ているのでそれに従えば辿り着けます。
駐車場から見える門や石垣にいきなり感動します。二本松少年隊の群像を入れながらいい感じで写真が撮れます。箕輪門をくぐり、枡形虎口の石垣を堪能しながら階段を上がると三の丸で、三の丸はかなり広く、ちょっとした庭園もあります。本丸のすぐ側まで車で上がれ、駐車場もありますが、三の丸から登る事をオススメ。途中「日影の井戸」があり、今も湧水が溜まっています。この付近も往時の石垣が残っている部分があり、本丸下南面の大石垣も見事です。復元した本丸石垣は感心しながら一周見て回っちゃいました。枡形虎口を通って本丸へ入ると、西櫓台、天守台、東櫓台もあり、これらからの眺望も素晴らしいです。
応永21年(1414)、奥州探題の畠山満泰によって白旗ヶ峰に築城されたのが最初である。以後、畠山氏9代が居城した。天正13年(1585)、時の城主畠山義継が伊達政宗の父輝宗を拉致し、阿武隈川畔の“粟の巣の合戦”で政宗により照宗・義継共々射殺された。翌年、城は伊達政宗の攻撃を受けて落城した。その後、伊達領として片倉影綱・伊達成実などが城代として入ったが、天正18年の秀吉による奥州仕置により、蒲生氏郷の支配下となった。その後、上杉・蒲生・加藤氏の会津入封に伴い城代が置かれた。寛永5年(1628)、加藤明利(嘉明の次男)が城主となったが、寛永20年、加藤氏の領地返上により、白河小峰より丹羽長重が10万余石で入封した。光重は10年の歳月をかけて城を改修し、山城を廃し、山麓に城館を築いて近世城郭としての体裁を整えた。以後、丹羽氏が12代続いて明治を迎えた。慶長4年(1868)戊辰戦争で、新政府軍との徹底抗戦により城内・家中屋敷の全てを焼失した。
城跡の地図