大館城
別名 岩城大館、好間館、飯野平城
所在地 いわき市好間町下好間
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑
現状 湯殿山神社
築城年 文明15(1483)
築城者 岩城常陸
歴代城主 岩城、鳥居
形式 台山城(比30・70m)
訪城日 2006/4/30
【道案内】


【感想・メモ】
おおだてじょう
【歴史】
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常磐自動車道「いわき中央インター」を下り、国道49号(バイパスでない方)でいわき市街へ向かった場合、3km程進んで「好間町下好間」信号を過ぎ、500m程進んで次の信号も過ぎ、更に200m程行った「大館」バス停付近に右へ入る少し細い道があります。この道の入口に「大館城」の城址碑があります。ここへと右折し、200m程坂を上ると道が突き当たるような感じになるので右折します。あとは道なりにどんどん上ります。急斜面のため滑り止めに小石が入った道を上がります。行き止まりまで上りきると駐車場で、この山頂付近一体が城跡です。山頂の南東側に湯殿山神社があります。
この付近だけ急な高台になっています。上がりきった駐車場から主郭の神社へ向かう左手に城址碑があり、主郭からの眺めがいいです。駐車場の下側は堀跡のような雰囲気で、奥に湯殿山神社があります。神社からも主郭へ上がる道があります。神社付近も曲輪跡といった感じで、竪堀らしきものもありました。
室町時代、岩城氏16代常朝が築城したが、岩崎氏の預かりとなった。岩城氏18代隆忠の時、居城を長友館から白土城に移し、長子・親隆と共に、岩崎氏からこの大館城を奪った。文明15年(1483)、岩城氏20代・下総守常隆は、磐城・磐前両郡の郡境にあたる大館城に目をつけ、居城を白土城から移した。文明17年、常隆は常陸国に進攻し、守護・佐竹氏を服従させ、常陸北部を支配した。常隆の子・岩城盛隆は、永正7年(1510)白河郡の領主白川氏を攻略し、岩城氏は陸奥・下野・常陸の三国を支配した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦で岩城氏は徳川方に与しなかったため、慶長7年、所領を没収された。その後、徳川家譜代の鳥居忠政が旧岩城領を与えられ、新たに平城を築いた。そのため大館城は廃城となった。
城跡の地図