| 安倍館 |
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| 別名 | 厨川城 |
| 所在地 | 盛岡市安倍館町13 |
| 遺構等 | 空堀、碑、説明板 |
| 現状 | 厨川八幡宮 |
| 築城年 | 平安時代 |
| 築城者 | 安倍氏 |
| 歴代城主 | 安倍、工藤 |
| 形式 | 平城 |
| 訪城日 | 2005/5/3 |
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| あべたち |
| 厨川八幡宮 |
| 東北自動車道「盛岡インター」を下り、国道46号を盛岡市街方面へ東進します。2.5km程東進して「秋田新幹線・田沢湖線」を陸橋で渡り、更に「JR東北本線、東北新幹線」も横切ります。そこから500m程行った、北上川の手前の「館坂」信号を左折して県道220号に入ります。700m程道なりに行った信号を右折すると、正面に「厨川八幡宮」があります。この付近一帯が館跡です。通り沿いの余白に車は停めました。 |
| 厨川八幡宮の両脇に、道路沿いからでも空堀がはっきり見えます。どちらにも「安倍館遺跡」の碑が建っています。 |
| 安倍館は厨川柵の支城で安倍氏が築城したが、前九年の役で源頼義勢と戦い、厨川柵と共に落城した。その後、後三年の役を経て奥州は藤原清衡が支配した。奥州藤原氏滅亡後、安倍館には工藤小次郎行光が入り、その子孫は栗谷川氏と称した。栗谷川氏は巖鷲山(岩手山)大権現の宮司を兼ね、戦国末期に南部氏が入るまで独自勢力としてこの辺りを治めた。 |