城跡の地図
九戸城
別名 白鳥城、宮野城、福岡城
所在地 二戸市福岡城の内・字松の丸
遺構等 曲輪、空堀、石垣、土塁、碑、説明板
現状 公園
築城年 明応年間(1492-1501)
築城者 九戸光正
歴代城主 九戸
形式 平山城
訪城日 2005/5/2
【道案内】


【感想・メモ】
くのへじょう
【歴史】
TOPページへ
二の丸土塁
本丸空堀
国道4号を二戸市街方面へ北上した場合、「中曽根」信号を右折して県道24号に入ります。600m程東進して馬渕川を「二戸大橋」で渡り、渡り終わってすぐの信号を右折して県道274号に入ります。そこから400m程南下した路地を左折して(少し細い道ですが、左折する角にお城の案内があります)道なりに行くと左手に城跡が見えてきます。あとは案内に従うと大手門を通って二の丸にある無料駐車場に辿り着きます。
県道から左折した所にある案内板と、駐車場へ入る200m程手前の道路沿いにある九戸城と書かれた黒っぽいポストみたいなものに、九戸城のパンフが入っています。それを見ると、どこに何があるか分かりやすいので便利です。駐車場へ行く車中から立派な空堀が見えて、今すぐ飛び出したくなります。駐車場からは二の丸の立派な空堀が見えて既に興奮状態?本丸へと虎口へ向かうと、これまた素晴らしい石垣があり、うっとり!しかも土塁上の桜が満開で、至福の幸せって感じです。その後、本丸追手門から出て、二の丸搦手門を抜け、石沢館と二の丸の間の堀底道を歩き、ぐるりと反時計回りに本丸の周囲を巡って、空堀を堪能しました。とにかく本当に素晴らしいお城です!!
明応年間(1492-1501)、九戸光正が築城した。天正8年(1580)三戸城主南部24代晴政に嫡男が無かった頃、一族の田子信直を後継者としていた。しかし、嫡子・晴継が誕生したため信直を嫌い世継ぎを撤回した。晴政死後、南部氏は信直と晴継の跡目争いが勃発。晴継は13才で謎の死を遂げ、信直が継いだ。天正18年、秀吉が小田原征伐後、奥州仕置を開始し、小田原不参陣の諸氏を追放したため、仕置軍が去った残党が蜂起し不穏な状況となった。この機に乗じ九戸政実は信直に対し挙兵したが、政実は謀略に敗れ九戸城は落城し、宮城県三迫で処刑された。その後、信直の領土は拡大し、秀吉の命で蒲生氏郷が城を改修した。信直はこの城を南部の本拠地としたが、子・利直が盛岡城に本拠を移したため、寛永13年(1636)廃城となった。
本丸虎口と土塁・空堀