宮城県のお城 ふなおかじょう
船岡城
別名 柴田城、四保館
所在地 宮城県柴田町船岡館山
遺構等 曲輪、土塁、空堀、井戸
現状 船岡城址公園
築城年 天文年間(1532-55)
築城者 四保但馬定朝
歴代城主 四保、屋代、原田、柴田
形式 山城(比110m)
登城時間 10分
三の丸
訪城日 2006/5、2012/7 感想
【道案内】 城跡の地図
JR東北本線「船岡駅」から南西へ約1kmの船岡城址公園が城跡で、公園東側から中腹まで車で上がれ、広い無料駐車場が完備されています。主郭は山頂で、スロープカーを利用するとほとんど登らなくても良いですが、広い駐車場から一段上まで車で行き(数台分の駐車場あり)、そこから急斜面を登って10分弱で山頂です。
【感想・メモ】
山頂には観音様があり、曲輪跡や堀切跡といった雰囲気の所がありますが遺構としてははっきりしません。ここの城跡はとにかく広く二の丸も三の丸も広大です。山頂から少し下った所に原田甲斐・柴田外記供養塔があり、二の丸に井戸があります。城址公園と書かれた門の奥の三の丸に屋敷を構えたとのことですが、ほとんど公園として改変され、公園の案内図にもお城のことは書かれておらず、これでも城址公園?と疑いたくなる程でした。「樅の木は残った」が有名で、公園北西にある「樅の木」の案内や説明板などはしっかりありました。
【歴史】 二の丸・絹引井戸
鎌倉時代初め芝田次郎が源頼家に命を受けた宮城四郎によって亡ぼされたことが「吾妻鏡」に出ている。天文年間(1532-55)、柴田氏の祖四保但馬定朝が居城とし、2代宗義の時、四保氏から柴田氏に改姓した。柴田氏は文禄2年(1593)桑折に移封となり、船岡は屋代勘解由兵衛が所領した。元和3年(1615)原田甲斐宗資が牡鹿郡大瓜より入ったが、寛文11年(1671)、伊達騒動により甲斐宗輔一族は滅んだ。天和元年(1681)、柴田宗意が登米郡米谷から入り、元禄7年(1694)、三の丸に屋敷を構え、以後柴田氏が代々続いて明治を迎えた。
参考資料 樅ノ木
『日本城郭大系』新人物往来社発行
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