宮城県のお城 まつもりじょう
松森城
別名 鶴ヶ城
所在地 宮城県仙台市泉区松森内町
遺構等 曲輪、堀切、碑、説明板
現状 鶴ヶ城公園
築城年
築城者 国分氏
歴代城主 国分氏
形式 山城(比60m、標80m)
登城時間 4分
主郭南の堀切
訪城日 2012/7 感想
【道案内】 城跡の地図
松森小学校の南約250mの鶴が城公園が城跡。宮城県運転免許センター北の「免許センター前」信号から250m程北上した次の信号「松陵団地入口」信号を右折し、800m程東進した「仙台市松森市民センター」手前を左折します。80m北上した突き当りを右折、50m先を左折し、道なりに上がっていくと鶴が城公園で駐車場が完備されています。
【感想・メモ】
城跡は公園になっているのですが、藪が酷かったため郭内は歩けたものではなかったです。主郭南の堀切のみが唯一の見所でした。
【歴史】
城が鶴翼の形をしていることから、鶴ヶ城とも呼ばれる。戦国時代に国分盛顕がこの地に移り住み、最後の城主17代国分盛重が天正期まで居住した。盛重は伊達15代晴宗の五男で政宗の叔父にあたり、国分家中からの強い反発を受けながらも家老堀江掃部允の支持を受け強行に国分氏に入嗣した。しかし、反乱が起き、伊達政宗が反対派の堀江長門守を支持して盛重を討つ寸前に至ったため、盛重は慶長元年(1596)に出奔して姉の婚家である常陸国(茨城県)の佐竹氏に身を寄せることになり没落した。その後、伊達氏の重要な城の一つとなり、仙台藩の正月行事である「野初(狩猟・軍事訓練)」の舞台となった。
参考資料
現地説明板
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