宮城県のお城 わくやじょう
涌谷城
別名 涌谷要害
所在地 宮城県涌谷町涌谷下町
遺構等 太鼓堂、模擬天守、石垣、曲輪、空堀、説明板
現状 城山公園、涌谷神社
築城年
築城者 涌谷氏
歴代城主 涌谷、伊達
形式 平山城
登城時間
模擬天守
訪城日 2005/5、2012/7 感想
【道案内】 城跡の地図
JR「涌谷駅」から北東へ約1km。涌谷駅から県道173号で600m程東進して江合川を渡り、渡り終わってすぐの信号を左折し500m程行くと右手に「城山公園」があります。この公園が城跡で、無料駐車場が完備されています。
【感想・メモ】
模擬天守が目に飛び込んできますが、その隣の現存・太鼓堂が趣があります。
2012年に再訪したら、前年の東日本大震災により模擬天守は崩れた箇所が多々あり立入禁止になっていました。見た感じ修復は無理そうなので、取り壊しになるのではないでしょうか?
【歴史】
南北朝時代、奥州探題として下向した大崎氏が領し、室町〜戦国期にその一族で家臣であった涌谷氏が支配した。大崎氏は豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかった為、天正18年(1590)滅ぼされたのに伴い、涌谷氏も滅んだ。その後、一時期、秀吉の家臣・木村氏が入ったが、葛西・大崎の一揆が発生したため、平定後は伊達領となり、亘理氏が治めた。元和元年(1615)、 「一国一城令」が発せられた。そこで、城を持てなくなった全国の大名は「陣屋」と称する防御がやや薄い構えを築城したが、領地が広く家臣も多い大藩は支城制を敷く特例が認められた。そして、仙台城以外に奥州に睨みを利かせるため許可された白石城ほか21カ所の要害が築かれ、明治を迎えた。
参考資料 太鼓堂
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
HOME 宮城県のお城