亀ヶ崎城
【道案内】
城跡の地図
JR羽越本線「酒田駅」から南へ約1.6kmにある酒田東高校一帯が城跡です。
高校西側に、ドーンと長い土塁が残っています。しかも虎口までしっかりと。土塁だけでもこれだけ立派だと見応えがあります。城址碑がブロンズ像のすぐ近くに倒れていたのが残念!写真を撮りたくて持ち上げてみたら重いのなんの。倒れたまま放置しないで、ちゃんと建て直して欲しいよ〜。「酒田東高校」の南東約250mの所に「亀城小学校」なんてあるから、名前からしてこの付近もまだ城域だったのかな?
【感想・メモ】
別名 酒田城、東禅寺城
所在地 山形県酒田市亀ヶ崎1-3
遺構等 土塁、搦手門(円通寺)、碑
現状 酒田東高校
築城年 文明10(1478)
築城者 大宝寺氏(武藤氏)
歴代城主 大宝寺(武藤)、酒井
形式 平城
訪城日 2005/4/29 感想


かめがさきじょう
【歴史】
TOPページへ
文明10年(1478)以降、武藤氏(大宝寺氏)が一門格の砂越城主砂越氏に対抗するため築城したといわれる。天正11年(1583)、最上義光が武藤氏の本城尾浦を攻めた際、東禅寺氏は最上氏と結んだため、武藤義氏は自刃へと追い込まれた。その後、最上氏が支配したが、のち武藤氏を支援した上杉勢が進み、最上氏はこの地を追われた。しかし、慶長6年(1601)、最上氏が再度攻略した。元和8年(1622)、最上氏の改易により、信濃松代の酒井忠勝が入った。その後、酒田は庄内藩の治めるところとなり、一国一城にも関わらず、鶴ヶ岡城と亀ヶ崎城の二城が認められた。