城跡の地図
県道275号で山形JCTの下を西へくぐり、1.2km程西進した路地を左折します。右手に「保育園いずみ」を通り過ぎもう少し南下すると正面に「大郷小学校」があります。この付近一帯が城跡です。
文中年間(1372-75)、山形城の支城として山形城主3代目・最上満直の次男満基が築城した。6代義時の時、兄・義光との家督争いから不和となり、更に天正3年(1575)、義時方の義光呪詛の一見が露顕したため、義光の夜襲に遭い、中野城や寺院は灰燼と化した。義時は切腹し、その子備中は仙台へ逃れ、中野氏は滅んだ。その後、中野領は義光が支配し、重臣を輪番で中野城に配置し、中野氏の旧臣は、最上氏の家臣団に編入された。しかし、元和8年(1622)、最上氏の改易によりこの城も廃城となり、壊された。
中野城
「中野城北西門跡」?標柱
別名 中野館
所在地 山形市中野字館506
遺構等 堀、碑、説明板
現状 大郷小学校
築城年 文中年間(1372-75)
築城者 斯波満基
歴代城主 斯波、中野
形式 平城
訪城日 2005/4/29 感想
【道案内】


【感想・メモ】
なかのじょう
【歴史】
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小学校に城址碑と説明板があります。小学校は本丸の西部に建てられたようです。また、右手に「保育園いずみ」を通り過ぎた道路左手脇に白い標柱が建っており、「中野城北東門跡」と書かれていたであろう、字がかなり消えかかった白い標柱が建っています。学校の北側には、堀跡?と思えるような所もありました。