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長谷川秀一邸
別名
所在地 愛知県一宮市(木曽川町)北方町北方宮浦74
遺構等
現状 北方中学校
築城年
築城者 長谷川秀一
歴代城主 長谷川秀一
形式 居館
訪城日 2006/5/30
【道案内】


【感想・メモ】
はせがわひでかずやしき
【歴史】
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国道22号「北方町」信号を西に入り、1本目の路地を左折します。すると右手に「北方小学校」があり、もう少し南下すると隣接して「北方中学校」があります。この中学校の東隅に碑があります。
長谷川秀一の屋敷跡は、近くの公民館付近だったようです。今はここに碑があるのみです。
長谷川秀一は戦国時代の武将で、早くから織田信長の側近として仕えた。信長から寵愛され「長谷川竹」と呼ばれていた。天正10年(1582)本能寺の変の際、信長の命により徳川家康の堺接待役を務めていた。信長死後は秀吉に仕えた。文禄元年(1592)から始まった朝鮮出兵で5千の兵を率いて渡海したが、文禄3年2月、朝鮮の陣中で病に倒れ死去した。
城跡の地図