長束屋敷 |
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別名 | |
所在地 | 愛知県稲沢市長束町沙弥 |
遺構等 | 碑 |
現状 | |
築城年 | |
築城者 | 長束正家 |
歴代城主 | 長束正家 |
形式 | 屋敷 |
訪城日 | 2003/6/15 |
なつかやしき |
県道155号「下津」信号を西へと県道62号に入ります。JR東海道本線を陸橋で渡り1km程西進した「小池2」信号を左折します。1km程南下した左手(東)が屋敷跡です。(県道136号から少し北側です) |
周囲は一面の田んぼとなっていますが、色んな碑が沢山横に並んでいる所があります。その中に「長束屋敷跡」の碑もあります。実際の屋敷跡は分かっていないようですが、この付近から巨石がいくつか出土したので、その石でこの碑を作ったらしいです。 |
長束正家は、武勇にも優れていたが、特に数学がよく出来、豊臣秀吉に仕えて財務を担当していた。後に大蔵大輔となり、五奉行の一人として、近江・水口城の城主となった。秀吉死後は秀頼に仕え、関ヶ原の戦いでは西軍・石田三成に味方したため、近江・日野にて殺された。 |