花園城

1.主郭と二郭の間の堀切
別名
所在地 埼玉県寄居町末野字城山1904
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、石垣、枡形虎口、碑
現状 山林
築城年 平安末期
築城者 藤田五郎政行?
歴代城主 藤田氏、北条氏
形式 山城(比95m、標200m)
登城口から主郭まで約15分
訪城日 2009/1 感想
城跡の地図
登城口の地図
【道案内】
JR、秩父鉄道「寄居駅」から西北西へ約1.8km。秩父鉄道沿い北側、「諏訪神社」が登城口で看板があります。

【感想・メモ】
諏訪神社の社殿に向かって右手背後から道があり、すぐ上の祠を回りこむようにそこから西北へ登ります。この祠付近の上方にいきなり竪堀が見え、その後も竪堀を見ながら登っていくと、竪堀が2つに分かれる付け根に出ます(写真3)。その上の腰曲輪には石積みが見られ、この上に二郭と三郭の間の大きな堀切があります。二郭から主郭へ向かう堀切手前にも石積みがあり、その先の堀切は岩盤を削っています(写真1)。主郭には城址碑が立ち、土塁があり、石積みがあちこちに見られます(写真4)。主郭西側の堀切も見事ですが、南斜面へ下りて行くと、虎口と思われる石積み(写真5)や三段になった石積みなどが見られます。他にも三郭の東にある四郭下には横堀が入り組んでいたりと、全体に遺構をとても楽しめるお城です。

【歴史】
平安末期に猪股五郎政行が築城して藤田氏に改姓し、右衛門佐康邦まで15代が在城したとの伝承がある。15代康邦の時、上杉氏を離れて小田原の北条氏康の三男氏邦を長女大福御前の婿に迎え、天神山城とこの花園城を氏邦に譲り、長子弥八郎重連・次男弥六郎重信と郷内の用土城に退いて用土左衛門と改名した。その後、氏邦は鉢形城を改修して移った。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原の役の際、鉢形城落城と共に花園城も陥落した。(『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)


2.登城口 3.連続竪堀の付根 4.主郭周囲の石積み 5.主郭南下の虎口状石積み
はなぞのじょう