元寇防塁 |
今津地区の防塁を2ヵ所見ました。1ヵ所は防風林(松原)の中を歩いていくと、復元された防塁がフェンスに囲ってありました。これはスゴイ!と長々と続く防塁を見ながら歩いていくと、復元されていない部分でも土から石塁が顔を出していたり、何となく土が盛り上がっていました。もう1ヵ所は、説明板がないと気付かなかったかも?という程度でしたが、土が少し盛り上がっていました。 |
別名 | 石築地 |
所在地 | 福岡市西区今津〜東区箱崎 |
遺構等 | 石塁、説明板 |
現状 | 松林他 |
築城年 | 建治2(1276) |
築城者 | 北条時宗 |
歴代城主 | 北条時宗 |
形式 | 防塁 |
訪城日 | 2007/2/10 |
文永11年(1274)11月、当時世界の大半を征服した蒙古(元)の国王フビライは日本侵攻を企て博多湾に襲来した(文永の役)。この戦いで日本軍は苦戦し、博多のまちは大きな被害を受けた。その後、建治2年(1276)鎌倉幕府は九州諸国の御家人等に命じ、博多湾岸約20kmにわたって石築地を築かせた。この石築地は元軍の再度の襲来に備えて上陸を防ごうというもので、元寇防塁と呼ばれる。この元寇防塁は弘安の役(1281年)の際に、日本軍の重要な防御拠点となった。元寇防塁は地区によって担当国が決まっており、防塁の工法は各国で違っていた。ちなみに今津地区は日向と大隅国が担当だった。 |
げんこうぼうるい |
県道54号で、瑞梅寺川が今津湾に注ぐ所を「今津橋」で北へと渡り、2km程進むと「今津運動公園」信号があります。ここから200m程西進した路地を北へ入り100m程北上すると松原があります。車は適当に余白に停め、この松原の中へ入っていくと復元防塁や土に埋まった防塁が見られます。他にも何ヶ所か防塁が見られます。 |