門司城 |
別名 | |
所在地 | 北九州市門司区門司字古城山 |
遺構等 | 曲輪、石垣、土塁、碑、説明板 |
現状 | 和布刈(めかり)公園 |
築城年 | 元暦2(1185) |
築城者 | 紀井通資、門司下総守親房 |
歴代城主 | 紀井、門司 |
形式 | 山城(比100m) 駐車場から主郭まで約7分 |
訪城日 | 2007/11/23 |
もじじょう |
JR「門司港駅」から北北東へ約1.8km。関門海峡沿いを走る県道261号を、和布刈神社から400m程南下して県道が左折になる手前を左手へ上がって行く道に入ります(山へ上り下りする道は一方通行)。道なりに700m程坂を上がって行くと山の中腹に駐車場があるので、そこに車は停めます。城跡はこの山の山頂です。 |
門司城は、平知盛が源氏との合戦に備え、元暦2年(1185)、長門国目代紀井通資に築城させたと言われる。寛元2年(1244)、下総前司親房が平家残党鎮圧の下知奉行として鎌倉幕府より豊前国代官職に任ぜられ下向した。その後、門司六ヶ郷と筑前国香椎院内などを拝領し、親房の子孫は地名から門司氏と称し、門司城を本城として約350年にわたり北九州を治めた。室町末期になると、門司半島は豊後大友氏と大内氏、大内氏滅亡後は毛利氏が争奪し、門司城はその渦中に置かれた。特に大友、毛利両氏による永禄の門司城合戦は壮絶を極めた。その後、門司城は城主を入れ替えながら続いたが、細川忠興の豊前入国後である元和元年(1615)、一国一城令により廃城となった。 |
駐車場から北へ100m程歩き先程の車道に出ると、左手へ登る道が門司城跡の案内があります。ここを5分程登ると城跡です。登り始めの右手にお城の説明が刻まれた石碑があり、倉庫跡を過ぎると観測所跡があり、その横の山頂に城址碑があります。城址碑からは関門海峡が見下ろせます。城址碑に向かって左手下には城門跡があり、石段や石垣が残っています。また、公園駐車場から車で下っていくと、途中駐車場があり、ここから真下に関門橋が見えたり、壇ノ浦合戦絵巻を楽しめます。 |