【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
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国道202号「徳須恵上」信号を東へと県道52号に入ります。500m程東進して右折し(ここから登城口まで案内があります)、700m程南下して左折します。そこから600m程南下して左折し、200m程進んで左折します。700m程東進して右手に池を過ぎ、更に道なりに進んで山道に入ります。道は舗装され幅もあり安心できる道路で、案内に従うと右手に説明板のある駐車場があり、そこも登城口ですが、更に進んで道の行き止まりまで行くと駐車場があり、ここから登った方が近いです。佐里方面からも車で同じ場所まで来られますが、案内が無いため迷いやすいと思います。 |
【感想・メモ】 |
登山口から本丸まで30分程かかります。登山は旗竿石までで、あとはそれ程登らないのですが、城域がかなり広く距離があります。10分弱で左が旗竿石、右が本丸方面の分岐となり、旗竿石へ登ると眺望が良く、玄界灘を見下ろせ、物見台の役目を果たしていたようです。先程の分岐から本丸方面へ3分程行くと三の堀切で橋が架かっています。そこからすぐ東が三の丸でかなり広いです。三の丸から二の堀切まで300mあり、二の堀切ではかなり立派な石垣が見られ先が楽しみになります。二の丸を過ぎると大手門跡があり、その次に石組みの井戸があり、やっと本丸到着と思ったら、まだ100m先に「三左衛門殿丸」があります。本丸からこの三左衛門殿丸も石垣がかなり見られ堪能できます。更にここから姫落し岩まで250mあります。この城は破城となったようで崩落した石も多いのですが、かなり広い城域と遺構に見応えたっぷりでオススメです。 |
【歴史】 |
平安末期、松浦党の祖・源久の次男・持が三男・勝の所領である波多郷を分与された際に波多氏を称し築城したと言われる。天正15年(1587)豊臣秀吉の九州征伐で、17代・親は参陣せず、鍋島直茂の尽力でその場は本貫を安堵されたが、鍋島直茂の朝鮮出兵中、直茂の命に背いたとして、文禄2年(1593)、秀吉に領地を没収され筑波に配流となった。その後、寺澤志摩守広高にこの地は与えられ、広高はこの城を支城として姉婿の今井新右衛門に預けたが、元和元年(1615)一国一城令により破城された。 |
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