前田利家陣 |
別名 | |
所在地 | 佐賀県唐津市鎮西町名護屋 |
遺構等 | 曲輪、土塁、石垣、碑、説明板 |
現状 | 史跡公園 |
築城年 | 天正19(1591) |
築城者 | 前田利家 |
歴代城主 | 前田利家 |
形式 | 陣所 |
訪城日 | 2007/2/10 |
まえだとしいえじん |
国道204号沿いの「道の駅 桃山天下市」の西側にある「名護屋城跡」信号を南へと県道23号に入ります。300m程南下して、道の駅の裏側へ回り込むように左折します。すると正面に陣跡が見えます。車は道の駅に停めると良いと思います。 |
私が訪れた時は、石垣を積む作業を中心に行っていました。全体に工事中で、調査をしている部分もあるようでした。「平野町陣址」の石碑が立っており、石垣が見られました。この陣は丘陵全体を利用して築かれたが、頂部より麓部に主要な郭があり、名護屋城に向かっていたようです。麓部は今後整備するようですが、頂部は藪のままのようです。 |
文禄元年(1592)、秀吉の朝鮮出兵のための戦略拠点となった名護屋城の周辺に築かれた有力武将の陣屋の1つで、前田利家が築いた陣城。秀吉が没するまでの7年間繰り広げた「文禄・慶長の役」で、全国の主だった武将のほとんどがこの地に参集し、人口は最盛期には10万人をこえたともいわれる。名護屋城を中心に丘陵上には百数十の所将の陣屋が立ち並び、一大都市として繁栄した。前田利家陣は、名護屋城の表を守る位置にあり、名護屋城に最も近い陣だった。 |