獅子ヶ城
別名 獅子城、猪ヶ城、鹿家城
所在地 佐賀県唐津市厳木町浪瀬
遺構等 曲輪、石垣、堀切、竪堀、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 治承・文治年間(1177-90)、天文14(1545)
築城者 源披、鶴田前
歴代城主 源、鶴田
形式 山城(比97m)
訪城日 2007/2/10
ししがじょう
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
国道203号「木」信号を南へと県道32号に入ります。そこから2.3km進むと道路右手に「獅子城跡入口」の石碑があるので、ここを右折します。道なりに山を上がっていくと行き止まりに駐車場があります。三の丸下まで車で上がれます。
【感想・メモ】
駐車場から階段を上がると三の丸です。三の丸の東に二の丸があり、その上に井戸曲輪、本丸と続きます。あちこちで石垣が見られ、本丸虎口の石垣もカッコいいです。更に西側の下の方にも石垣が沢山ありました。駐車場から反対側には出丸もあり、こちらにも解説板が設置されています。出丸東の大堀切はかなり立派で、そのまま竪堀を下ったら車道に出ました(藪ですが)。城跡は全体的によく整備されとても見やすく、上まで車で来られるので、お気軽に楽しめるお城です。
【歴史】
治承・文治年間(1177-90)、松浦党の祖・源久の孫・源披が築城し、披の子・源持の代に平戸へ移ったため廃城になった。室町後期、この地方は波多氏を頭とする松浦党と、竜造寺氏が勢力を争っていた。松浦党は武勇の誉れ高い鶴田兵庫介源前を獅子ヶ城主とし、天文14年(1545)城を改修した。源前は、竜造寺隆信と再三に渡って争い、天正年間(1573-92)初め頃に和睦した。そして、長子・鶴田上総介源賢の時に、竜造寺氏の出である多久安順に仕え別府に移ったため、城は廃城となった。