筑紫氏居館 |
別名 | |
所在地 | 鳥栖市牛原町 |
遺構等 | 曲輪、石垣、竪土塁、説明板 |
現状 | 筑紫神社 |
築城年 | |
築城者 | 筑紫氏 |
歴代城主 | 筑紫 |
形式 | 居館 |
訪城日 | 2007/11/24 |
ちくししきょかん |
長崎自動車道「鳥栖インター」から1km程南下した「田代代官町」信号を右折します。3km程西進して長崎自動車道をくぐり、更に2.2km程西進すると右手に「筑紫神社」があります。この神社周辺が居館跡で、神社の向かい側に広い駐車場があります。勝尾城はここから登ります。 |
私は運良く、鳥栖市教育委員会の方に案内して頂きました。神社の南側は藪で見にくいのですが、石垣が散在しています。特に虎口には石垣が多用されています。また、30m間隔で竪土塁があったらしく、1本はハッキリ見ることができます。この館跡の南側道路を東へ歩くと諸氏の屋敷跡があり、現在田んぼになっていますが、地形で雰囲気を見ることができます。空堀跡が溝になっていたりと、歩いて見ていくと今でも面影を偲ぶことができます。 |
明応6年(1497)、筑紫満門が勝尾城に入城して以来、天正14年(1586)までの約90年間、筑紫氏が居館を構えた地で、おたち(御館)と呼ばれている。筑紫神社の石段を登った南北約50m、東西約80mの平場が館の主要部で、筑紫氏の領地支配の中心となる政治の場で、主殿や会所、茶室等にあたる建物があったと考えられる。 |