天竜浜名湖鉄道「気賀駅」から南西へ約700m。
【感想・メモ】
フェンスや植え込みに囲まれた中に「堀川城址」の石碑があり、フェンス沿いに説明板もあります。遺構はないですが、石碑が大きくて立派でした。
【歴史】
永禄11年(1568)、徳川家康の遠江侵攻に備え、今川氏の勢力下にあった気賀の土豪、斉藤為吉・新田四郎・武田右京・山村修理・尾藤主膳らが築いた城柵。周囲を柵で囲い、浜名湖の潮の干満を利用して、満潮時には舟を使用しないと城へ入れない構造になっていた。しかし、永禄12年、干潮を待って大攻勢をかけた徳川家康軍により落城した。農具を武器に立て篭もった農民2500人の多くが討死し、生き残った農民700人も呉石塔の下で斬殺され、気賀村は焼打ちにあった。
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