| 光明城 |
| 別名 | 光明寺城、高明城、高明山城 | ||
| 所在地 | 静岡県浜松市天竜区山東字光明山 | ||
| 遺構等 | 曲輪、堀切 | ||
| 現状 | 光明山遺跡(山林) | ||
| 築城年 | 享禄年間(1528-32) | ||
| 築城者 | 朝比奈時茂 | ||
| 歴代城主 | 朝比奈 | ||
| 形式 | 山城 |
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| 訪城日 | 2011/7/16 | 感想 | ○ |
![]() 光明寺石垣 |
| 光明山遺跡の案内に従い光明山林道を進むと無料駐車場が完備されています。林道は舗装され、たまにすれ違えない幅になるものの、大体は乗用車同士ならすれ違いもでき安心して通れる道でした。 【感想・メモ】 光明山の南南西約700mにあり、車で上まで行けるのが有り難いです。駐車場から2分程東へ歩くと「西光寺跡」で、そこから更に3分程で「光明寺跡」(本曲輪)となります。石段や石垣がありますがかなり藪です。本曲輪の東側にも石垣がしっかりあり、その北側が中曲輪なのですがここも酷い藪です。この東に五人塚があり、その東の堀切を見ると、城だったのだと感じられます。3度訪城しているのですがいつも夏場のため藪です。冬は大丈夫なのかな?初訪城の時はここでキャンプをしているボーイスカウトの人達も居ました。 【歴史】 享禄年間(1528-32)、朝比奈時茂が築城し、太郎泰方が継いで在城したとも言われるが、明確ではない。二俣と犬居を結ぶ旧秋葉街道沿いにあり、行基が創建した光明寺に築城した。元亀年間(1570-73)、武田氏の属城として城番が置かれ、天正3年(1575)6月、徳川家康が家臣・本多忠勝や榊原康政に光明城を攻略させた。赤豆坂、梯子坂で激戦の後、攻略し、光明城は二俣城主大久保忠世に預けられ、その家臣が天正10年頃まで在番した。 |
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| こうみょうじょう |